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遠くを見つめる山形県
山形県は人の横顔のようなかたちをした県です。
その額から鼻先にあたる場所が庄内地方。
ここにからくさやはあります。

西に日本海、周りを鳥海山、出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)などの山々に囲まれ、山形の文化と生活を支えた最上川が日本海に流れ込む場所でもあります。
見晴らしの良いこの平野ではどこにいても自然が五感を通して感じられ、そして今も昔も海の幸と山の幸、そして米どころとして豊かな風土です。

山形県地図
庄内の富
「庄内は天恵の沃野、正に之を以って国を立つべき楽土なり」
これは1622年に庄内藩に入部した酒井忠勝公の言葉です。

古来より続く穀倉地帯として名だたる場所であり、
酒田はすでに大阪や京都などと海路でつながっていて、
商人たちが長い時間をかけてつくり上げた高度な自治を実現した自由都市として発展していました。
商業と農業がこれほど豊かである地域は当時の東日本では見られず、忠勝公にとっては大変魅力的な場所だったに違いありません。

忠勝公はその完成された酒田の町をいかす配慮から
鶴岡の鶴ヶ岡城を居城に決め、これにより城下町の鶴岡と
湊商人の町酒田という2つの特徴を有する藩が形成されました。

その豊かな楽土として最も貢献したのが日本一の大地主といわれた豪商、酒田の本間家です。
とくに三代目本間光丘は、風砂の害を防ぐための防砂林事業を失業対策と供に行い、高利貸しからの多額の負債のある者の肩代わりをして破格の低金利で貸し付け大名や農民を救い、庄内藩、米沢藩の財政再建も行うなど公益の祖と形容されている人物です。

強欲な地主や藩主と家臣たちに食いつぶされてしまい貧困にあえぐ民にあふれた地域が東北では多かった中、豊かな大地と商業圏、そして素晴らしい人材という稀有な条件が揃ったこの庄内はより多くの富を生み出し、豊かな産業と文化がはぐくまれてゆきました。

昔々酒田市には酒田城と呼ばれ、そののち東禅寺城と言う名に変わったお城がありました。
そのころ鶴岡市のお城は大宝寺城(または大梵寺城)と呼ばれていました。
庄内のめでたいお話
亀 徳川家康が江戸幕府を開いた1603年、
酒田湊に2メートルもの大亀がやってきました。

当時庄内を領有していた最上義光(もがみみつあき)はこの珍しくめでたい出来事を喜び、
「万歳を祝え」とお触れを出して、人々は「竜宮の乙姫様のお使いがきた」と亀を車に乗せて村々を回り、お酒を振舞い競って踊り始め、飲めや歌えやの大騒ぎは7日間続きました。

以来義光は東禅寺城をヶ崎城という名に変え(酒田市には今でも亀ヶ崎という町名が残っています)、
大宝寺城を
ヶ岡城に、のちに東の中山を山(現飽海郡松山町)、その西の村、田尻を田(現飽海郡松山町竹田)と改めました。
それは
鶴・亀・松・竹にちなんだものだったといわれています。

それから庄内藩は鶴ヶ岡城を本城、庄内藩の枝藩として松山城下は松山藩となり、めでたい呼び名に違わず豊かな土地として繁栄しました。

松
松

ここれらの地名は今日にいたるまで使われ、親しまれていますが、洒落心から生まれたものだったとはあまり知られていません。

当たり前だけれど、知れば知るほど奥が深くておもしろい―着物もそれは同じ。
「からくさや」もさりげなく遊び心に富みながらオリジナリティーを大切にした着物を紹介することで、暮らしに楽しいエッセンスを皆さんにお届けして末永く親しまれ愛されるお店をめざしていきたいと考えています。